第一章 母親
半年前、スーツを買ってくるよう中村に求められ、母親は淡い希望を抱き、すぐさま近所の紳士服量販店へ出掛けて行った。採寸もないまま、母親は、記憶にある息子の体付きを頼りにスーツをオーダーした。そうして出来上がったスーツは、不気味なほど中村の体にぴったりと合った。
スーツが出来上がってから数日が経ったある日、中村は、二十万円を母親に求めた。母親は、用途を一切問わず、一万円札を二十枚、息子に手渡した。その日が、中村が初めて料亭でお座敷遊びを体験した日になった。
母親は、家事代行を生業とする会社にパートとして所属していた。週五日の労働で、月給は八万円程度だった。それでも、遺族年金を受給していて、自宅のローンも完済していたから、一家二人の生活は金銭的には余裕があった。十年前に亡くなった中村の父親の退職金と保険金がまだ残っていたのも、余裕に拍車を掛けていた。
中村は、週に一度、料亭に通うようになった。その度に、母親は息子に二十万円を手渡した。
夏の終わりに一度だけ、母親は息子にお金を渡すことを渋った。中村は、無言で、無表情で、居間の壁を数回、殴った。殴った数だけ壁に穴が開いた。母親はすぐさま金を用意し、それを息子に手渡した。中村は何事もなかったように料亭へ繰り出した。
貯蓄が著しく減っていく中で、母親は侘しく微笑んでいた。秋に、中村が少女と邂逅を果たした時も、母親は一人、侘しく微笑んでいた。