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俺と同じくらいの強さの奴に会いに行く

俺と同じくらいの強さの奴に会いに行く 第1話 リュオウ、格闘家やめるってよ

 金剛山の頂に門戸を張る波動道場。その奥の間にて、波動流格闘術の開祖、剛龍(ごうろん)と向かい合う一人の男がいた。男の名は、リュオウ。40歳、独身、無職である。
 「久しいな、リュオウ」
 最強の格闘家の一人に数えられた剛龍も寄る年波には勝てず、今やフォルムばかりかハートまで、すっかり丸くなっている。一番弟子が尋ねてきた、これは初孫が尋ねてくるに等しい。故に、ほころぶ。サンタみたいな髭に隠れたえくぼさえ、存在を誇示するほどに。
 「また一段と強くなったのだな、リュオウ。佇まいで分かるぞ」
 気分がいいから、さらっとリップサービスが飛び出す。マジレスは、老けたなリュオウ、だというのに。
 「今、茶をいれよう。岩おこしも持ってきてやる。カプコンに勤めている知り合いが暑中見舞いに寄越したのでな。リュオウ、好物じゃったろう、岩おこし」
 「岩おこしは、ありがたく頂戴します」無表情で、リュオウは言った。「しかし、茶は遠慮します。旧交を温めにきたわけではありませんから」
 カチン、ときた。このクソガキ、育ててやった恩を旧交とぬかしやがった。そのくせ、岩おこしは寄越せと、厚かましいにも程がある。
 最近、歳のせいか怒りっぽくなった。些細なことを流せなくなったのだ。仏の剛龍と呼ばれたのは遠い過去、今じゃ弟の悪鬼(あくき)より鬼が板についている。
 「そうじゃ、うっかり忘れとったわい。岩おこし、全部食うてしもうたんじゃった」意地悪な嘘であった。「すまんなぁ、リュオウ」
 「構いません」帰りに応接間のチェストを漁ろう、と考えながらリュオウは言った。「簡潔に話を済ませるために来たのですから」
 「その話というのは、なんじゃ」可愛さ余って憎さ百倍、既に剛龍の声に親しい響きは欠片も残っていなかった。「さっさと話せ」
 胡坐から正座へと、リュオウは姿勢を正した。
 「俺は、格闘家をやめます」
 電流が、走った。ブランカの電撃を食らったわけでもないのに、骨が透けた気がした。
 「やめて、どうする?」剛龍は冷や汗をぬぐった。「どうする、やめて?」
 「会社員を目指します」令和の中高生みたいな、40歳の声だった。「人並みの幸せが欲しいんです」
 切実であった。切実であるがゆえに、リアルが影を落とす。
 「格闘しかやってこなかったんじゃぞ、リュオウ、お前は・・・・・・」声に、親しい響きが戻っていた。「学歴も無ェ、職歴も無ェ、おまけに資格も何にも無ェ。リュオウ、お前、何にも無ェんじゃぞ!」
 「だからって、やるしかないじゃないですか!」リュオウは勢いよく立ち上がった。「人並みの幸せが欲しいんです!」
 「何か、他の道があるはずじゃ!」剛龍も立ち上がる。「会社員以外の、お前の格闘の経験を生かせる道があるはずじゃ!」
 「そんなものはない!」一部の迷いもない断言であった。「メジャーな格闘技でそれなりの結果を残したりしない限り、格闘の経験なんて、中学のころサッカーをやってました、程度のアピールにしかならない!」
 「道場を、道場を開くとか!? 月謝を一人当たり二万円くらい取って、波動拳の撃ち方を教えるとか!」
 「どこに道場を開く金があるんだよ!? どこに道場を開く土地があるんだよ!?」リュオウは、涙目になっていた。「それとも、師匠、あんたが貸してくれるとでもいうのかよ、金か土地!?」
 「儂だって、ない!」剛龍も涙目だ。「金がないのはもちろん、この波動道場だって、賃貸じゃ!」
 「それじゃあ、黙ってろ! 金も土地も貸してくれないなら、黙ってろ!」
 悲しみだけがあった。それは、貧しい時代のテンプレート。
 涙が枯れるのに、そう時間はかからなかった。
 「会社員になるとして・・・・・・」剛龍は遠い目で言った。「就活は、しとるのか?」
 「これからです」リュオウは胡坐をかいた。「格闘家人生に決着をつけ次第、就活を始めるつもりです」
 「格闘家人生に決着をつけるとは、如何に?」剛龍も胡坐をかく。「如何様にすれば、決着がつくものか?」
 「最高の引退試合です」リュオウは、道着の袖、かつては長袖だったが今はタンクトップ寸前の、その肩部分の、非常な摩耗によるギザギザをなでた。「この道着を脱いでもいいと思えるような、グランドフィナーレによって、決着がつくのです」
 老いさらばえたとはいえ、未だ現役格闘家の剛龍である。故に、理解できる。引退試合という幕引きの甘美を、想像できる。
 「リュオウ。最高の引退試合にしよう」最高の結婚式にしよう、くらいの熱量だった。「やめられるよ、それで、格闘家」
 「師匠、お願いします!」立ち弱パンチより少ないフレームで、土下座する。「最高の引退試合をセッティングしてください!」
 飢えていた。頼られるということに、飢えていた。これは老人のサガである。サガであるならば、抗えない。
 「任されよう」少しだけ若返って見える剛龍だった。「任されよう」
 「持つべきものは、師匠です」床板にこすりつけた額を、離すことさえ忘れるリュオウだった。「あなたの弟子で、よかった」
 かわいいこと言うじゃない、こいつ。それじゃあ、サービスするしかないじゃない。母性と父性がドッキング。剛龍、親としてのラストミッション。
 剛龍は、自ずと正座していた。
 「リュオウよ。儂の弟、最強の格闘家、悪鬼との試合を、否、死合いを、セッティングしてやろう」今世紀一番のドヤ顔であった。「最強の格闘家が格闘家人生最後の相手であれば、本望であろう、リュオウよ? なんなら、オプションで、真・悪鬼になるよう頼んでやってもいい。最強の格闘家が更に最強になるぞ。どうじゃ?」
 奥の間が、震えた。地震ですか? 違う、そうじゃない。額を床板につけたまま、リュオウが激しく身を震わせているから、震えているのだ、奥の間が。
 『リュオウの奴、泣くほど感激しとるわい』
 かわいいが過ぎた。殺してやりたいほど憎たらしいときもあるけれど、やっぱり弟子は、かわいいが過ぎた。
 「リュオウ! 飛び込んで来い、儂の胸に! そして、儂の腕の中で存分に泣けぃ!」
 両腕を大きく開き、デカい大胸筋を更にデカくする。受け入れ態勢は、万全だ。
 リュオウが、ゆっくりと顔を上げた。どんなかわいい泣き顔かしら、と期待に胸を躍らせていた剛龍は、その怒顔、憎悪に歪んだ中年の顔を目にして、小さな悲鳴を漏らした。
 「配慮を知らねぇのか、このクソジジイ!」リュオウは、怒鳴った。「悪鬼の野郎は人間じゃぁねぇ! あんな化け物と戦ったら、文字通り死合い、殺されちまう! 格闘家としての引退試合じゃ済まねぇ、人生の引退試合になる案件だ!」
 「けど、けど、リュオウや・・・・・・」明らかに、気圧されていた。「諦めないで戦えば、ワンチャン、生き残れるかもだし、勝てるかもだし・・・・・・」
 「リアルに根性論は通用しない! 竹槍で機関銃に勝てるか!? 同じだよ!」
 「けど、けど、リュオウや・・・・・・勝てないまでも、生き残れさえすれば、化け物相手に生き残れさえすれば、新たな人生の門出、その第一歩を踏み出す勇気が、得られるのではないか?」
 「勝って気持ちよく終わりたいんだよ、俺は!」嘘偽りない、澄み切った言霊だった。「人生の大半をドブに捨てちまった格闘家人生、せめて最後くらいは最高の思い出にしたい! そんな当たり前の人間の心がどうして分からないんだ、あんたは!?」
 敗北を知りたい、なんて言う輩は勝利の味を知る人間だ。勝利を知りたい、のである。勝利の味を知らない人間は、勝利を知りたいのである。
 子の心親知らず、それを自覚して、剛龍は哀しみを覚えた。
 「負けっ放しの人生じゃったんじゃ、リュオウは。何一つ成し遂げられないまま40歳になってしまったんじゃ、リュオウは。それじゃあ、勝利への飢えは人一倍、チートに手を染めるが如き精神状態。度し難い。度し難いが、儂が支えてやらねばならん。悲しいかな、リュオウには、この子には儂しかおらんのじゃ。40年も生きてきて、この子には、儂のような無力なジジイしかおらんのじゃ。哀れじゃ、哀れじゃ、リュオウ・・・・・・」
 「心の声になってねぇんだよ! 二重かぎかっこになってねぇんだよ!」
 まるでサムライスピリッツだった。怒りゲージがMAXに達したのだ。
 真っ赤になるほど興奮した体で、リュオウは剛龍の顎髭を引っ張った。
 「痛い、痛い! やめんか、リュオウ! 真・昇竜拳より顎にくる!」
 ハッとしたように、体から赤色が引いた。リュオウは顎髭から手を離した。
 抜けた数本の顎髭が、儚く舞った。
 「すみません、師匠」リュオウは恭しく頭を下げた。「最近、キレやすくて・・・・・・」
 「気を付けんといかんぞ、リュオウ」顎を撫でながら、言う。「お前みたいな中年が、取り返しのつかない事件を起こすんじゃから」
 「俺を犯罪者予備軍扱いするか!」
 まるでサムライスピリッツだった。怒りゲージがMAXに達したのだ。
 真っ赤になるほど興奮した体で、リュオウは剛龍の乳毛を引っ張った。
 「痛い、痛い! やめるな、リュオウ! オイルコンビネーションホールドより乳首にくる!」
 ハッとしたように、体から赤色が引いた。リュオウは乳毛から手を離した。
 抜けた数本の乳毛が、儚く舞った。
 「俺は、自分が、怖い!」リュオウはうずくまり、震えた。「いずれ、人を刺しちまいそうで、怖い! 自制がきかないんだ! 殺意の波動より、怖い!」
 「どうすりゃいいんじゃ、儂は・・・・・・」乱れた息を整えながら、剛龍は言った。「どうすりゃいいんじゃ、お前を・・・・・・」
 「気持ちよくしてください!」切実だった。「勝利で終われる引退試合を、ください! 格闘家をやめて、会社員になって、幸せな家庭を築けたら、俺も、人を刺さずに済むはずです!」
 会社員はまだしも幸せな家庭はハードルが高いぞ、という声を、剛龍は飲み込んだ。次は陰毛を引っ張られる恐れがあったから。
 剛龍は、徐に、掛け時計を見やった。BSのドジャース戦が始まる時間が迫っていた。
 「勝利で終われる引退試合、セッティングしてやるわい」早口だった。「ロシアの雄、ザンギュラビッチ! 奴が相手なら、確実に勝利で終われるじゃろ」
 リュオウの震えが、ぴたりと止んだ。
 「それじゃあ、儂はちょっと用事があるから、退座するぞ」立ち弱パンチより少ないフレームで、立ち上がる。「後日、セッティングが済み次第、ラインするから」
 リュオウが、すっと、それこそ幽霊が浮かび上がるような熱量のない動作で、顔を上げた。その顔を見て、剛龍は、ぞっとした。
 『表情筋が、死滅しとる!』
 「師匠に人の心はないのですか」ゆっくりボイスみたいな、リュオウの声だった。「ザンギュラビッチなんて、三秒でKOできてしまいます。そんなスリルもドラマも感動もない、単なる弱い者いじめで、俺の格闘家人生が気持ちよく終われると、本気で思っているのですか」
 「だって、お前、勝ちたいって言うから・・・・・・」恐怖で、歯がガチガチ鳴った。「勝たせてやろうっていう、儂の親心・・・・・・」
 「ニュータイプになれって言ってるわけじゃないんだよ!」恐ろしい緩急で、感情が蘇った。「少しは人の心を理解しろって、そう言ってるだけなんだよ!」
 『もう嫌だ、こいつ』剛龍は天を仰いだ。『早く大谷見てぇなぁ』
 「ドラマチックな試合を演出してくれる相手! ロッキーにとってのアポロみたいな相手! 1じゃなくて2の、ギリギリで勝てる相手! そういう気持ちよい相手を、ください!」
 育て方を間違った、その事実に、剛龍は奮い立った。手遅れかもしれない、けれど、師として、親として、教育し直さなければならない。そうしなければ、モンスターは一生モンスターのままだ。
 大谷見てぇなぁ、なんて思ってる場合ではなかった。剛龍は、リュオウのすぐそばに腰を下ろし、真っすぐ、リュオウの目を見詰めた。
 「リュオウ。世界はお前のためにあるのではない」感情的にならないよう、努めて冷静な声を出す。「だからこそ、妥協が必要なんじゃ」
 「このクソジジイ! ほざいたな!」リュオウは激怒した。「俺は、40歳で、無職で、金がなくて、童貞だぞ! 俺ほど人生を妥協している人間はいねぇ!」
 「選んどるんじゃよ、お前は!」もう感情的になった。「選んどるから、無職で、金がなくて、童貞なんじゃよ、お前は!」
 「俺は選んでねぇっ! 俺は選んでねぇっ!!」
 「じゃあ聞くがな、リュオウよ! お前、格闘家をやめられて、就活を始めて、それで介護の仕事しかなかったら、やるか!?」
 「いや、介護はちょっと・・・・・・」リュオウは声を落とした。「きつそうなんで・・・・・・」
 「選んどるやないかい!」金剛山に居を置くだけあって、剛龍の関西弁は滑らかだった。「ほんま、かなわんで、この子!」
 「違う! 今のは間違い! ノーカウント!」
 「じゃあ聞くがな、リュオウよ! お前、格闘家をやめられて、就活を始めて、それで運送の仕事しかなかったら、やるか!?」
 「いや、運送はちょっと・・・・・・」リュオウは声を落とした。「きつそうなんで・・・・・・」
 「選んどるやないかい! ほんま、かなわんで、この子!」
 「選んでないよ! 唯、他に希望の仕事があるだけなんだよ!」
 「その希望の仕事とは、何じゃ!?」
 「事務職だよゥッッ」嘘偽りなかった。「上場企業の、できれば半導体関係の、事務職だよゥッッ」
 「ぶっとばすぞ、お前!」血管が切れそうになりながら、剛龍は叫んだ。「お前、ぶっとばすぞ!」
 「夢を見ることすら許されないのですか!? ユーチューバーになりたいとか言ってるわけじゃないんだぞ!? 半導体関係の上場企業に、正社員で勤めたいって、事務職でって、唯それだけじゃないか! そんな慎ましい夢すら許されないのか!?」
 「令和だよゥッッ」令和であった。「令和だよゥッッ」
 「夢は死んだ」ニーチェであった。「夢は死んだ」
 夢が死んだら、どうしようもねぇ、どうしようもねぇのである。どうしようもねぇが、しかし人は生きていかなければならない。これを、レ・ミゼラブル、という。
 ユゴーもびっくりの惨状で、けれどそんなの、慣れっこだ。平成の頃からイカれてた。もっと言うなら、昭和の頃からイカれてた。生まれた瞬間から常時世紀末、それじゃあ、へっちゃらさ、令和くらい。だけど涙がでちゃう、人間だもん。
 逆境でこそ、人間の真価は問われる。ここで真価を証明したのは、剛龍であった。
 『とにかく、まずは就活させねば何も始まらん!』真理であった。『何かが始まれば、夢だって蘇るかもしれん! 奇跡が起きて、例えば、漂流した半導体関係の上場企業の会長を助けたリュオウが正社員として雇用される、そんなサラリーマン金太郎的な、夢が蘇るかもしれん! 儂が今すべきことは、全力で、リュオウの格闘家人生にピリオドを打ってやることじゃ!』
 そうして、頭をひねるのであった。リュオウがギリギリの試合の果てに勝利できる、そんな都合のいい相手・・・・・・。
 「おった!」一休さんより明確な、剛龍の、チーン、であった。「あいつが、おった!」
 「誰です!?」藁にも縋る思いで、年老いた師に縋るリュオウ。「紹介してください、師匠!」
 「ケーンじゃよ、ケーン!」
 空気が、張り詰めた。
 「けーん?」初めてアメリカ英語を聞いた幼児みたいな、リュオウのリアクションだった。「けーん?」
 「ケーンじゃよ、ケーン! お前と一緒にこの波動道場で修業した、ケーンじゃよ!」
 「存じ上げません」リュオウは首を横に振った。「そのような人物は、存じ上げません」
 「おいおいおいおい、ボケるにはまだ早いぞ、リュオウよ! ケーンじゃよ、ケーン! 世界的大企業の御曹司で、美人の嫁さんがおって、かわいい息子もおる、イケメンの、ケーンじゃよ!」
 「存じ上げてるよ!」リュオウは剛龍の乳首を引っ張った。「存じ上げていて、記憶の奥底に封印していたんだよ! 酷い格差を思い知ってしまうから! それなのに、ケーンケーンって連呼しおってからに! 空気を読めよ!」
 「リュオウ、直接は駄目ぇ!」乳首が、性感帯だった。「刺激、強すぎぃ!」
 喘いだってやめなかった。ガチでキレている。
 「俺が死ぬ思いで日雇いの肉体労働をしていたとき、ケーンの野郎は何をしていた!? 言ってみろ!」
 「デカいオフィスで、デカい金を動かして、デカい金を得ていました!」乳首が、性感帯だった。「言いました! もっと強くしてください!」
 「俺が愚地独歩みたいに束ねた竹に貫手を突いていたとき、ケーンの野郎は何をしていた!?」
 「美人の嫁さんに愚息を突いていました! もっともっと強くしてください!」
 「俺が泣きながら自らの倅を撫でていたとき、ケーンの野郎は何をしていた!?」
 「幸せそうに息子の頭を撫でていました! もっともっともっと強くしてください!」
 「ケーンの野郎はイケメンだ! そうして、俺は何メンだ!?」
 「ブサメンです!」
 「乳首引き千切るぞ、この野郎!」
 それこそを待っていた。乳首と引き換えに得られるペインエクスタシーを夢想し、剛龍は目をつぶった。
 気持ちよくしてやるのが、癪だった。だから、リュオウは穏便に乳首を放した。
 永遠のお預け・・・・・・それを悟ってしまったから、これが最後だという確信があったから、性からの卒業は後ろ髪を引かれる思いで、ガッテム! ガッテム! と嘆いた剛龍の魂は、亀頭よりむき出しだった。
 「俺のセリフだよ、ガッテム!」むき出しにむき出しを被せるスタイル。「ガッテム! ケーンの野郎を思い出しちまって、ガッテム! あいつは幸せなんだ! 俺は不幸なのに、あいつは幸せなんだ! ガッテム! 同じ年に生まれ、同じ道場の波動拳を打った仲で、けれど似ても似つかない、あいつは全てを手に入れて、俺は何一つ手に入れていない! ガッテム! ガッテム!」
 哀れみが、性を忘れさせた。出来の悪い子ほどかわいい、故に、リュオウが最高にかわいい。かわいいと哀れみは比例する。ここに実現した、最高の哀れみ。
 剛龍だって、ケーンは嫌いだ。恵まれが過ぎる、ケーンが嫌いだ。そんな個人的感情も相まって、リュオウの両肩をつかんだ剛龍の両手は、力んでいた。
 「悔しいなら、戦って、勝て、リュオウ! お前の40年間が間違いではなかったことを、ケーンに勝って証明しろ!」
 「嫌です!」欠片も迷いがない、正しく即答であった。「ケーンと戦うくらいなら、俺は一生、無職の童貞でいい!」
 「なぜじゃ!? なぜじゃ、リュオウ!?」Z世代の心以上に、リュオウの心が分からない剛龍だった。「ケーンはお前が望んだ通り、ギリギリで勝てる相手じゃろうが! ましてや、ライバル! 引退試合の相手に、これほど相応しい奴はおらんじゃろう!?」
 「格闘しかやってこなかった俺が、経営者であり良き夫であり良き父でもあるケーンとほぼ互角の実力という、事実!」枯れたはずの涙が、流れていた。「それは、毎日12時間のゲームプレイをこなしているヒッキーが残業当たり前のフルタイムで働く社畜とのマッチアップでギリギリの勝負を展開するが如き恥辱! 俺は、耐えられない! そんな辱めには、耐えられない! 引退試合どころの話じゃないよ!」
 「認めればいい! 己の器を、認めればいい! 認めた上で、戦うんじゃ! 大人になるとは、そういうことじゃ!」
 「嫌です! 俺は特別だって、信じていたいんです!」
 「それならば、ケーンを認めてやれ! 経営者であり良き夫であり良き父でもありながら優れた格闘家でもあるケーンを認めてやれ! 認めた上で、戦うんじゃ! 大人になるとは、そういうことじゃ!」
 「嫌です! 俺は、金持ちを認めねぇ! 俺は、妻子持ちを認めねぇ! 俺は、イケメンを認めねぇ! 俺は、死んでも、ケーンを認めねぇ!」
 『天使みたいな子じゃったんじゃ』枯れたはずの涙が、流れていた。『信じられん話じゃが、リュオウは、小さいころは天使みたいな子じゃったんじゃ。父の日に、野花で作った花輪をプレゼントしてくれて、師匠大好き! と言ってくれた、天使じゃったんじゃ。それが、今はもう、面影すらない。今のリュオウは、唯の醜い中年じゃ』
 「師匠! 俺を気持ちよくしてくれる相手を紹介してくださいよ!」親の心子知らずで、リュオウは醜くせがんだ。「師匠の責任として、親の責任として、ケジメをつけてくださいよ!」
 「儂は、間違ったんじゃ・・・・・・」辛うじて言葉になる、嗚咽だった。「子育て、間違ったんじゃ・・・・・・」
 「今頃気が付いたのかよ、遅いよ」さらっと、言った。「あんたが俺に教えるべきだったのは、波動拳やら昇竜拳やらの撃ち方じゃなかったんだ。あんたが俺に教えるべきだったのは、この狂った人間社会で人並み以上の暮らしをするための術だったんだ」
 剛龍の心が、折れた。涙だけが、残った。
 「お助けください、師匠!」駄目を押す、無情。「俺を救ってください!」
 「無理じゃ。誰も、お前を、救ってはやれん」
 「じゃあ、いいです。俺の利にならないなら、用はないです。さようなら」
 四時間で退職する新入社員みたいなドライを纏い、立ち上がったリュオウは、奥の間の入口へと歩を進めた。
 「どこへ行く、リュオウ!?」危機感を刺激する背中に向かって、叫ぶ。「どこへ!?」
 「俺と同じくらいの強さの奴に会いに行く」
 「リュオウ! リュオウ! リュオウ!」
 こうして、リュオウは応接間のチェストを漁り、岩おこしをゲットして、旅立った。
 夕日に、リュオウのシルエットが、とけた。